公民館掃除&喜楽座ヒアリングの作りこみ

今日は朝から大宇陀地区の公民館掃除があると聞いて、天根さん夫妻とともに向かいました。朝8時半開始です。「田舎の朝は早い」とも言うし、確かに早いのは早いのですが、どちらかというとポイントは平日にこうやって集まることなんじゃないかと思います。たとえば私の住んでいる団地の階段掃除はいつも週末ですし、都会では時間というより、会社勤めの人を意識して曜日設定をしている感じがして、田舎ではこの感覚が都会ほど強くはないのかな?と思いました。

公民館掃除と聞いて、私は地区の大人30人ほどが集まっているさまを勝手に想像していたのですが、掃除した実際の建物は「老人憩いの家」でした。そして、集まった人も全員合わせて10人くらいだったでしょうか?想像していたよりずっと少なくてあっけにとられました。行く前は、「30人もの初対面の人達の中に飛び込まなければいけない」とストレスに感じていたのですが、それは実際になくて、ほっとしました。

掃除に来ていた地域の皆さんは温かく私を受け入れてくださいました。まぁ~より祭でも周りの皆さんには良くしていただいて、それは室生も大宇陀も変わらないのですが、今日は少人数で、しかも私が天根さん夫妻と一緒に来て、「天根さんの知り合い」であることがよりはっきり見えやすかったので、まぁ~より祭と比べると、抵抗なくより短時間で受け入れてもらえたのかな?と思いました。

午後からは約一週間ぶりくらいにはならぁと事務局にお邪魔しました。今日は8月の目標の一つである、「喜楽座を知っている地域の人達を対象にしたヒアリング」に関して、大まかに事務局スタッフの方々と打ち合わせしました。ヒアリング対象者の絞り込みや集めた証言のアウトプット法など、まだまだたくさん決めなければいけないことがあったのですが、意外と喜楽座を知っている人の名前が数人分ポンポンと出たり、事務局側でアウトプット形式を提案していただいたりして、ヒアリングの全貌はあらかた固まりました。

また、今日たまたま事務局に用事があってマルカツに立ち寄った地域の女性も、ついでに聞いてみると当時の喜楽座をご存知でした。芝居小屋時代に活躍していた役者が当時の青年団だったり、昔は松山地区には旅館が何軒もあったりなど、私もはならぁと事務局の人達も初めて知るようなことをたくさん教えてくださり、とてもわくわくしました。今日事務局に向かう前、「大宇陀町史」などの文献をさっと見たのですが喜楽座に関しての具体的な記述はなく、喜楽座について謎な部分が多かったので、これからのヒアリングも、もっと喜楽座や松山地区を知れる機会として、とても楽しみになりました。

昭和何年の地図かわかりませんが、この資料の中には「映画館」として記載されています。

このヒアリングは、はならぁとが地域にもっと浸透するきっかけになればいいなと個人的に思います。ヒアリングに参加してもらうことによって、地域の人達に、自分達もはならぁとを作っている一員なんだと実感して、はならぁと当日に足を運ぶきっかけにしてもらえれば一番良いと思っています。

2017-08-04 | Posted in 8期生 平居 日報Comments Closed 

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